露地栽培全体

 





露地栽培に挑戦

家の新築をきっかけに若いころからの夢であったサボテンの露地栽培を始めました私の中学生の頃はサボテンブームでどこの家にも数種類のサボテンが軒等に置かれていたものです。
サボテンを集めるきっかけは近くのゴミ置き場に「葉団扇」が捨てられていたのを持ち帰り砂に植えて毎日水をかけていましたがそれでも枯れもしないで成長する姿を見たことと、友人の家の軒下にサボテン(種類は覚えていない)がそれには子がついていたのを見て、友人に頼みサボテンの子を分けてもらったことでサボテンに興味を持ちました。
それからは近くの家を覗いてはサボテンに子がついていれば頼んで分けてもらい、20種類くらいが集まりました。
ただ、育て方がわからないため、ただの砂に植えていましたので満足には育つことはなかったと思います。
家計が苦しいこともあり、高校1年になるとアルバイトをして少しだけのこずかいを手にしてサボテンの本を買いました。
今でもその本は残っています。
誠文堂の「総合種苗ガイド1シャボテンと多肉植物編」という本でした。
この本は派手なカラー写真等は少ないが多種にわたって記載があり説明も簡潔でわかり易いもので初心者にとってはこれ以上ないものでありました。
最近見直(ボロボロであるが)してみても納得の行く内容です。この中で特に興味を持ったサボテンは「コピアポア」の黒王丸、逆鱗玉でした。
また、栽培困難とある高地性サボテンの「エキノマスタス属」についてはすべてについて興味があり、スクレロカクタスの「白紅山」はすべてのサボテンの中でももっとも美しいとあり大変興味がありました。イスラヤ属の砂王女、イスラ玉さらにギムノ属の「新天地」「光琳玉」メロカクタス属、フェロカクタス属等の代表種についての説明を読み、写真をみて手に入れたいと願望していましたが、購入することは無理でした。
そして、「総合種苗ガイド」に記載されていた「サボテン業者」にカタログを請求しカタログを何度も何度も眺めて収集した気になっていたものです。
その当時の業者で今でも残っているのが、当時一番お世話になった
「実生園」であり、また「芳香園、南草園共生園、北草園、芳明園、美鈴園、五十鈴園」等でした。
カタログは毎年請求し送付していただきました。そのカタログに載っている新しい種類や輸入球について特に目を奪われいつか手にしたいと思っていたものです。
高校を卒業し就職してからは月「6000円」のこずかいの中からサボテンの購入をしました。
簡易なフレームも作成し、毎日眺めていました。。
しかし、両親と住んでいた借家から会社の社宅へ移ることとなりサボテンの収集ができなくなり、すべてのサボテンを友人に渡してしまいました。その後、24歳で結婚し一軒屋を借りたことから再度、サボテンの収集を始めましたが、そのころは斑物に興味があり、特に緋牡丹錦が気に入っていました。
また、
多肉植物の王妃笹の雪が発表されて間もない頃であり、1センチ2000円から3000円程度の高価な値段がついていたと思います。
高価な緋牡丹錦及び王妃笹の雪を購入して幸せに浸っていました。
しかし2年後にまた社宅へ入居することとなり、社宅へもっていったサボテンは金鯱(径10センチ)だけでした
緋牡丹錦、王妃笹の雪は友人へ、また、他のサボテン、多肉植物は妻の実家へ預けました。
以後、30年に渡り社宅住まいとなり、ベランダに数種類のサボテンを置くだけとなりました。
30年に渡りサボテン収集ができない状況であったがサボテンへの興味は尽きることがなく、カタログを見て収集の想像をしていました。
その中でも壮大なスケールの想像があり、当時、福岡の宗像という場所に勤務していました。勤務先で考えていたことはこの宗像町全体に及ぶ温室を作り原産地のようなサボテン公園を作り、全種類のサボテン、多肉植物を集めることを考えていました。
当時の本にはサボテン及び多肉植物の種類は亜種を含めると30万種類にも及ぶとの記載もありこの30万種類を集めたいと想像をしたものです。このころに温室で育てるサボテンでなく露地栽培に興味を持ち始めたと思います。
あれから30年経ちやっと家を持つことができましたが今でも昔と同様に生活に余裕があるわけではありません。
他の趣味家のインターネットを見ていると、温室の100坪はおろか数百坪もの温室を所持して凄い数のサボテンを育てているのを見ますが
私の家での栽培面積は7坪くらいです。
この広さで多種類を育てたいと考えると温室、フレームでは少ない種類しか収集できないでしょう。
それで以前からの夢であった
露地栽培であればより多くの種類の栽培ができるのではと考えたのが理由の一つでもあります。
露地栽培となると、背が高くなる柱サボテンも気にすることなく、栽培でき、地面すべてに植えつけることができ、
温室で鉢栽培をするよりも多く?の種類が栽培できると思います。
しかし、福岡の気候が他の地域と違い恵まれているとはいえ、露地栽培となると、本当に大丈夫なのか悩みました。しかし最初から上手くいくわけがないことは自覚していましたから、全滅を覚悟で、まずは強健種を栽培し経験を積んで次第に難しい種類のサボテンの露地栽培へと進んで行こうと思っています。
トップページに記載しているとおり、「花盛丸」「短毛丸」等の寒さに弱い種類のサボテンが日本に入り長い年月を経て日本の気候に順応し、今では露地栽培できるようになったことを考えると、高級種といわれるサボテンの露地栽培も夢ではないと考え実施に踏切ました。
この後大半のサボテンを枯らすことになると思っていますが、生き残ったものからの実生により強い種を育て露地栽培でも可能というところを見せたいと思っていますが、私では高級種といわれているサボテンの露地栽培に耐えうる物を作るのは不可能なことです。
例えば「太平丸」を例にあげると、まず実生をして育て、その中から生育が良く丈夫と思われる物を選別し選別した物同士により交配して種子を取りさらにそれを実生してさらに選別し交配、実生と繰返して行かなければなりません。
こうして日本の環境に適応できる物ができるまでどのくらいの時間がかかるのでしょうか?
直感的で考えるしかありませんが、実生を繰り返しても5代、6代ではまず無理でしょう。
私は最低でも200年〜300年かかると思っていますので人間の寿命からすると人一代での作出は不可能と考えます。
それならばなぜ露地栽培をするのか、それは現在では気候温暖な地域でもほんの一部の種しか露地栽培ができないと言われていますが本当にそうなのか疑問を持っていますし、短期間で適応する種があるかも知れません。
また、露地栽培の記録を残すことでサボテンを趣味としている人また、これからサボテンを趣味とする人達に何かしら少しでも役に立つのではと思っています。
日本の環境に適した物を作ることは急ぐ必要はありません。
サボテンが過酷な環境に適応するためにどのくらいの時間をかけて今の姿、形になったのでしょう。
私たちは何かに付け人間の考えで判断をしてしまいますが、これはその植物にとって良いとは思えません。その植物を考えて判断し急がずに育成、栽培をして行かなければなりません。
これはすべてのことに当てはまることですが、趣味の世界ではそれが考えられていなく私たち人間の基準で栽培育成が行われており、いろんな弊害が起きています。
サボテンが好きであるゆえに人間の基準で判断するのでしょうが、サボテンの生まれたことを考えてそれを基準にすれば、日本の環境に適したサボテンの作出も急ぐ必要はなくゆっくりとサボテンに合わせて行けばよりよい方向に向かうと思っています。
永遠にサボテンが人から愛されるようにと祈って露地栽培等に取り組んでいます。




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